🍜 大晦日の夜はシンプルに全部のせ年越しそば(シンプルとは?)
大晦日の夜は、だいたい毎年同じことを言っています。「今年はシンプルにいこう」と。
そして完成したものを見て、同じことを思います。「どこがシンプル?」と。

今年(2025年)の年越しそばも、例外なく“全部のせ”でした。
そばの上にはえび天、油揚げ、かまぼこ、たっぷりのねぎ、わかめ、そしてつやつやの生卵。出汁はしっかり色づいていて、具材の存在感もそれぞれ主張強め。器の中はほぼ満員です。
「控えめ」という言葉は、たぶん買い出しの時点でどこかへ落としてきました。
でも、大晦日ってそういう日だと思うのです。
冷蔵庫の中を見渡しながら「これも入れとくか」「せっかくだし」と足していくうちに、気づけば具材は増えていく。年に一度の行事だと思うと、ちょっと盛りたくなる。そんな自分の単純さも含めて、毎年恒例の風景です。
📅 2025年と2024年、似ているけれど確実に違う一杯

2枚目は2024年の大晦日。こうして並べて見ると、「あれ?ほぼ同じ?」という気もします。えび天、かまぼこ、油揚げ、ねぎ、生卵……主役メンバーは変わりません。
でも、よく見ると細かい違いがあります。
2024年のほうは、天ぷらのボリュームがやや控えめで、全体的にまとまり重視な印象。一方、2025年は天ぷらがどんと乗っていて、卵の存在感も強め。なんとなく「今年は負けないぞ」みたいな勢いを感じます。誰と戦っているのかは分かりませんが。
毎年同じように作っているつもりでも、その年の自分のテンションや疲労度が、盛りつけに出るのが面白いところです。
2024年は少し静かに一年を締めくくろうとしていたのかもしれません。2025年は「よくやった私」と自分に言いたかったのかもしれません。
そば一杯でそこまで語るのは大げさですが、年末ってどうしても少しだけ感傷的になります。
🍤 「全部のせ」に走る心理を冷静に分析してみる
そば自体は、いたってシンプルな食べ物です。麺と出汁があれば成立する。具材はあくまで“トッピング”。
なのに、私はなぜ毎年ここまで盛ってしまうのか。
答えはたぶん、「足りないのが怖い」からです。
大晦日に「なんか物足りないな」という気持ちで終わるのが嫌なのです。一年の最後くらい、満足して締めたい。その結果、満足を超えてやや過多になる。
えび天は華やかさ担当。
油揚げは安定感担当。
かまぼこは彩り担当。
生卵はまろやかさ担当。
ねぎとわかめは、全体のバランス調整係。
こうして役割を与えてみると、ちゃんと意味がある気もしてきます。実際には「冷蔵庫にあったから」という理由も大きいのですが、それはあまり大声で言わないでおきます。
それにしても、そばの上にこれだけ乗せておいて「シンプル」と言い張る自分の図太さは、ちょっと嫌いじゃありません。
😅 大晦日のテンションは判断力を鈍らせる
年末は、いつもより少しだけ判断が甘くなります。
「今日は特別だから」が免罪符になり、普段ならやらないこともやってしまう。洗い物が増えるのも分かっているのに、具材を増やしてしまう。
そして食べ終わったあと、満腹で動けなくなりながら思うのです。
「やっぱりちょっと多かったな」と。
でもその反省も、翌年にはすっかり忘れています。
一年という時間は、記憶を都合よく薄めてくれるのかもしれません。だからまた同じことを繰り返す。
それでも、こうして毎年似たような年越しそばを食べられているという事実は、案外ありがたいものです。
特別豪華でもなく、特別おしゃれでもない。ただ、いつもの台所で、いつもの器に盛って、静かにすすっている。それだけで十分だと思えるようになったのは、少しだけ大人になった証拠でしょうか。
🌙 来年こそ本当に「シンプル」になるのか問題
毎年のように、「来年はもう少し具材を減らそう」と心の中で誓います。そば本来の味を楽しむ方向へ、そろそろ舵を切ってもいいのではないか、と。
でも、きっと来年も同じことをしている気がします。
スーパーでえび天を見かけて、「やっぱりこれないと寂しいよね」と言い、かまぼこを手に取って「紅白は縁起物だし」と言い訳をし、ねぎを多めに刻んでしまう未来が、容易に想像できます。
それでもいいのかもしれません。
完璧にシンプルでなくても、自分なりに満足できる一杯なら、それで十分です。
一年の終わりに、「まあ、悪くなかったかな」と思えれば、それがいちばんのごちそう。
2024年も、2025年も、似たようで少し違う年越しそば。
その小さな違いを楽しみながら、また新しい一年に進んでいく。
来年こそシンプルになるのか、それともさらに具材が増えるのか。
その答えは、また大晦日の夜に分かるはずです。
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